平野國臣銅造




筑前藩士の家に生まれ、少壮のころから古文を研究し史書を読み、また詩歌にひいでていたそうです。
時あたかも明治維新の前夜、平野國臣は意を決して脱藩、そして家族に累が及ぶのを懸念して離縁し、上京して同士と倒幕を策す。しかしながら志士弾圧が厳しくなり、西郷隆盛に頼まれた平野國臣は、月照を護衛しながら薩摩へ入りましたが、処置に窮した薩摩藩は一行を日向へと送ります。その途中平野國臣ら一行を乗せた船上から錦江湾に西郷隆盛と月照が身を投げた話はあまりに有名。
獄中、こよりを作って歌をつづり、多くの書を著したそうです。
平野二郎國臣銅造碑文より
福岡市中央区西公園内平野二郎國臣銅造
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平野二郎國臣銅造


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国臣。徳川の家臣でもない。黒田の家臣でもない。日本国の家臣である。


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桜の季節西公園山道は多くの店が並びます


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西公園は桜の名所でもあります






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