加藤司書(徳成)




加藤司書徳成(のりしげ)公は福岡藩の家老職2800石の要職にあり、勤王家。
加藤司書は福岡藩の倒幕派の中心的な立場にあり、福岡の血の気の多い急進派を抑えながら、黒田播磨(勤王派)と連名で福岡藩の行く末について建白書を提出します。
黒田長溥という殿様は開明的な殿様でしたが、薩摩藩とは反対の途を歩むことになり、慶応元年(1865)明治維新のわずか2年前、勤王派の弾圧に着手。『乙丑(いっちゅう)の獄』。にて切腹となります。
明治維新後、黒田長溥公は加藤司書の遺児達に自分の不明を詫びたそうです。
福岡市中央区西公園山頂
katou01_thumb.jpg
荒津の丘いこいの広場より山頂に向かう途中


katou02_thumb.jpg
加藤司書公銅造跡碑があります


katou03_thumb.jpg
銅像は無く、台座だけが残っています


katou04_thumb.jpg
加藤司書公が詠んだ今様が彫ってあります






福岡北西部観光マップへ