青柳種信ゆかりの地
国学者で福岡藩士、江戸に出仕し井戸南山に儒学を学び、寛政元年(1791年、24歳)伊勢松坂の本居宣長に入門する。
先祖は飯盛宮の神官で、筑前国佐原郡平軍郷飯盛村字馬場に住み、代々同郷の司として、飯盛三所大神の祭礼を掌る。平群郷百三十余町の地を領し、後世に至り47歳の時『後漢金印略考』(金印を受けたのは奴国=福岡に与えられたものであることを立証した)を著し、また、日本で最初の全日本全図を作成した伊能忠敬の道案内人も務めた。文化11年(1814年)『国学家業城代組』となり、次いで『御右筆記録方』に勤仕する。
主な著書
『筑前国怡土群三雲村古記図説』『蜑古器略考』『筑前国続風土記拾遺』『飯盛神社由来記』『防人日記』
案内板より
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