この地鹿原山(祖原山)は、初度の元寇文永11年10月20日に早良川から百道にかけて上陸した敵の有力な一部隊の本陣となった。 敵は軍旗をなびかし太鼓や銅鑼を鳴らして気勢をあげ、目前に展開する鳥飼・赤坂(福岡城裏)別府・荒江で、鉄砲を放つなどして、 わが郷土 肥前・肥後の将兵と激しく戦った。 そのことは肥後の竹崎季長の蒙古襲来絵詞や八幡大菩薩愚童訓に見えている。 なお博多湾に浮か能古・志賀島や西戸崎の海陸は、弘安4年(1281年)再度の役に、東路軍が、我が軍の猛攻をうけて、 ついに壱岐へ退去するにいたった古戦場である。 福岡市早良区昭代1-7 |
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