菅原神社縁起より
昔この辺りが海の入江であった頃、岸辺の砂浜には、鴨や磯の千鳥が群れ遊んでいたことでありませう。
この砂浜の何処かに菅公のお船が着いたものと思われます。
延喜元年(901)2月1日、追われるようにして都を旅立たれた菅公は、博多の津に上陸され、西の宰府道を太宰府へと向かわれたのであります。その道すがら旅の疲れをお休めになったところが当神社のある辺りと、里人達によって語り継がれ、俗に「田の中天満宮」とも称され大切にされてきました。
元の社殿は長年の風霜に朽ち、僅かに石垣を残すのみでありましたが、再建の気運興るや多数の奉賛協助を賜り、ここに完成をみたものであります。時は移り世は変わりましても、公の学は燦として四海に輝き、徳は永しえに乾坤を照らすことでありませう。
昭和60年10月26日
菅原神社 福岡市中央区警固2丁目6-15 |