今様の歌碑 光雲神社拝殿横 初めは分からず、まさかと思っていたものがそうでした。 社務所に尋ねたら、忙しいのにもかかわらず、奥様が案内してくれました。 『西方沖地震』の跡に、ある日ふと気がつくと、『歌碑』の周りに石が捨ててあったそうです。 分からない人には唯の石コロにしか見えないのでしょう。 合渡(ごうど)の川の河柳 植ゑてぞしのぶふることや やり一筋にさび刀 御代の恵みは天地に 『合渡』は合渡合戦のこと。黒田長政は、関ヶ原合戦(1600年9月15日)前の8月23日、岐阜から大垣へ僚軍と進行しました。下調べをしていたのに馬もろとも川の深みにはまり、兜だけが見えていたところを、家来の堀久七、林五介に助けられたそうです。(兜が柳の枝に引っかかったともいわれています)。なんとも、長政の勇猛と猪突猛進振りを窺わせる挿話ですね。 |
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