1667年(寛文7年)博多の豪商、黒田藩に多大なる功績を残した御用商人伊藤小左衛門が、徳川幕府の密貿易取締りの見せしめとして、幼子を含めた一族郎党、使用人を含めた多くの人々が処罰され、その数は270人にも上ったそうです。何時の世も我が身が可愛いのは役人の性。伊藤小左衛門らは長崎の長崎西坂にて処刑されたそうです。共に処刑された幼子たち、5歳の三男・小四郎、四男・萬之助を不憫に思った博多の人たちが祭った神社で、子供の息災の神として崇敬されています。 博多の多くの人たちに愛された博多商人伊藤小左衛門は、近松門左衛門の「博多小女郎(こじょろう)浪枕(なみまくら)」として、今も語り継がれています。 古代より博多商人は、海の向こうに大いなるロマンを求めて駆け回っていたのです。 福岡市博多区下呉服町1-28